「新薬という奇跡」-成功率0,1 %の探求–2023年5月30日 吉澤有介

ドナルド・R・キルシュ&オギ・オーガス著、寺町明子訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2021年6月刊
著者のキルシュは、新薬研究者(ドラッグハンター)として40年近い経歴があり、多数の特許と論文で、現在は製薬会社コンサルタント、ハーバード大学エクステンションスクールで新薬探索の講義をしています。共著者のオーガスは、サイエンスライターです。
先史時代では、人間は誰もが新薬の探求者でした。寄生虫や病気に苦しんで、薬になりそうな草木の根や葉を、片端から噛んで試してみたのです。イタリア・アルプスの氷河でBC3300年頃の男性の凍り漬けのミイラが発見されました。彼の腸には鞭虫が寄生していましたが、着用していたクマの皮に抗菌性や抗出血作用のあるカンバタケのキノコが付着しており、史上最古の応急処置薬であったとみられています。偶然に発見したものでしょう。
現在でも科学者の創薬プロジェクトが、医薬品として成功する確率は、僅か0,1 %です。細胞や組織や器官についての理解が飛躍的に進んでも、一人ひとりの遺伝的生理的構造が異なる上に、特定の化合物が生体中の特定の分子と、どう相互作用するかを予測することはできません。これまで開発された新薬は、まさに奇跡の所産そのものだったのです。
本書では、医薬の起源を植物、合成化合物、土壌細菌、バイオ医薬に分類して、それぞれの医薬品の発見物語を解説しています。エーテルが初めて医学雑誌に出たのは、1812年のことでした。狭心症の薬でしたが、あまり注目されませんでした。一方、当時の外科手術はまだ麻酔がなく、激痛と感染症のために、極めて危険なものでした。1846年、歯科医のモートンが、エーテルに着目して動物実験を行い、ハーバード大学の公開手術に成功して、外科医療に革命を起こしました。エーテルの需要は一気に拡大します。しかし当時は製造技術が未熟で、品質は不安定だったので、アメリカ海軍の軍医スクイブが、新製法を開発し、品質を安定させました。彼のスクイブ社は、世界に販売する初の大手製薬会社となりました。
やがて「合成化学」が生まれると、合成染料の開発が活発になりました。それを医薬品に応用したのがバイエル社でした、アセチルサルチル酸の開発に注力し、1899年に「アスピリン」を発売しました。スペイン風邪で世界的な人気になり、今日まで続く大型新薬になりました。開発者は首席化学者のアイヒングリュンでしたが、ユダヤ人だったので当時のナチスに強制収用され、その名誉を部下のホフマンのものとして公表されました。アイヒングリュンは戦後解放されましたが、その功績は今も政治的に埋没したままになっています。
1928年、微生物学者のフレミングは、シャーレの中で、青カビの真菌がブドウ球菌の増殖を抑えていることを発見しました。翌年に「ペニシリン」として医学に発表しました。しかし製法が不安定で、医薬品になったのは1941年、二人の協力者が現れてからでした。
また結核は多くの悲劇を生んでいました。ウクライナで生まれ米国に移住したワクスマンは、多くのスクリーニングの末に、ニワトリの気管から「ストレプトマイシン」を発見し、瞬く間に数百万人を救いました。「抗菌薬黄金時代」の始まりです。医薬品ハンターの物語は、さらに遺伝子治療や細胞治療の出現で、新たな変革の時代へ展開しています。「了」

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